これを読むと、目を覚まさせてくれるような爽快感があるのでシェアします(^_^)

ちなみに、頭で分かっててもできない!という時に、助けになるのがフラワーエッセンスです。

どう頑張っても、思考が『凹む』、前向きに考えられない、自分は動きたくない(変わりたくない)周囲に都合よく変わってほしい!という思考クセが変えられない人は、あっさり、フラワーエッセンスを使っちゃってください。そもそも、なんでも自力で頑張らなきゃいけない、自分の力で苦しんで頑張らなければならないという刷り込みを、まず手放しましょう。

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抜粋↓
『攻撃的なのも凹むのもメンタルの弱さの現れだから』

『「あの子は性格が悪いんだな」で思考がとまるなら、芝居はどっちみち壁にぶつかるよ。「他人の性格や思考、価値観を推理、理解すること」は“役作り”とまったく一緒だから。』
抜粋ココマデ↑
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声優の現場で「あなたブスなのによくここまで来れたね」ヤフー知恵袋での熱すぎるベストアンサー
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情報源: COROBUZZ

そうなんですよねぇ、、“あの人ひどい”、“あの人にこんなことをされたから(言われたから)傷ついた”というのは、“もっと私を尊重して!”、“私をそんな風に扱うのは許せない!”という感情のネガティブな表現だったり、自分を振り返ったり、反省することから逃げ、『私は王。私の意に添わないことを私にするなんて許さない!』と言い切ってるのと同じでもあります(場合やケースによりますが)。向こうも同じエネルギーで、単にそれを外部に対する攻撃で出していて、言われて凹むほうは、それを自分に向けて攻撃してるというだけの方向の違いだけだったりします。

凹むのは、相手が変わるまで、ひたすら忍耐強く待つというのと同じ場合もあります。しかし、相手が変わるのは、いつになるか分からない(それぞれの学びは、それぞれの人の好きなペースでしていけるので、下手すりゃ、その人、死ぬまでそれやります。場合によっては来世まで引きずる人も)。

相手を変えるのは無理だし、おこがましい。専制君主のようなもので、相手の尊厳を踏みにじるのと変わらない。

外部の刺激に対して、柔軟に対応し、自分の意に添わないことであれば、自ら動いて状況を変えられるのが、自由を与えられた人間。国によっては、そんな自由も与えられないところもありますが、今の日本は違います。恵まれた環境をしっかりと活かして世界を変えていかないと、そういった方々も助けることができません。貧しい人から搾取して、自分だけ潤ったらいいと浸っている人と変わりませんよ〜。

『何を言われても凹まないように、メンタル強くするにはどうしたらいいか?』と一人悶々と思うのは、下手すりゃ自分の世界に陶酔してるストーカーと同じかもしれません。

「なんてひどいこと言うの!なんで?」と相手に噛み付いてみるもよし、この中のアドバイスのように、それをバネに自分を高めるきっかけにしてもよし。外部からの刺激を、全て、自分をよりよく変える材料にしてみましょう。いちいち凹んで、ウジウジしてるほうが、時間とエネルギーの無駄w

『私が王なんだから、変わる必要はない。周りが変わりなさい!私にひれふしなさい!オホホ!』と高笑いしてる専制君主でいてもねぇ、、、(^_^;) 自然の法則に逆らうと、しんどいし、そのうち滅びますw

3次元は移ろうのが自然の法則。私たちの先祖はうまい歌を残しましたよね♪

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祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。

沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。

おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。

たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
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【現代語訳】

祇園精舎の鐘の音には、諸行無常(=全ての現象は刻々に変化して同じ状態ではないこと)を示す響きがある。

(釈迦入滅の時、枯れて白くなったという)娑羅双樹の花の色は、盛んな者も必ず衰えるという道理を表している。

権勢を誇っている人も長くは続かない、まるで春の夜の夢のよう(にはかないもの)である。

勇ましく猛々しい者も結局は滅んでしまう、全く風の前の(すぐに吹き飛ばされて消えてしまう)塵と同じである。
情報源:教科書 Finder

変わらないのは、私たちの魂から発する思いや信念。そこがしっかりと立ち上がっていると、3次元で何を言われても、何をされても、揺るがないのですが、、、。それと混ぜないようにご注意下さいw