今、日本では、自殺率の高さが世界でも突出しているそうです。交通事故死よりも自殺のほうが多いとか。多くの人が、この事態に心を痛め、日本をどうにかしたいと必死に取り組んでおられます。

生きづらさを抱えている人も多いと思います。“自殺なんて私には関係ない”というのはないです。生きづらさ、生きていく楽しさが感じられず、無為に感じられる人も同じこと。 今、そんな人が多い日本人全体に、この本は、必要な本だと思います。

この本もその一つ。 自殺率が極端に低い町の秘密を探るためリサーチを続けた方が書かれた本です。

ただ、何か事件や問題が起こって、その原因や理由を探し出すのは、分かりやすい。でも、問題が起こらない原因や理由を探すのは雲をつかむかのような話。大変難しいフィールド調査だと思います。

ただ、無くし物も、あると思って探すのと、ないと思って探すのとでは違います。“どうせ見つかる訳ない”と思って、探しているポーズだけで探すと、ホントに見つからない。 でも、あると思って探すと、不思議とあっさり見つかったりします。

見つからないと決めつけて、諦めて、何も見つけられない目になっている人が多い中、この著者は、あると思って探した方です。

ちなみに、目的意識をしっかりと確立すると、それを達成するために必要な情報が、不思議なくらい目に入ってきたり、やってきたりします。今までも、同じようにそこにあったのに、単に自分が気づかなかっただけ。目的意識をしっかりと立てないから、目に止まらないのです。

自殺率のとても高い町と、自殺率が顕著に低いこの町 – 徳島県海部町の両方に、何度も足を運び、街の人たちにアンケートをとり、その地域を知るにはその地域の保健士に聞くのが一番という鉄則に従い、保健士さんについて回る。そんな調査で浮かび上がってきたことを紹介して下さっています。

自殺率の高い地域と、自殺率が顕著に低いこの町の違いはなんでしょうか? また、共通しているところもあるのに、なぜ、この違いがあるのでしょうか。

自殺率が顕著に低い海部町に特に強くあらわれ、自殺多発地域においては微弱だったり、少なかった要素。

自殺予防因子

  • いろんな人がいてもよい、いろんな人がいたほうがよい
  • 人物本位主義をつらぬく
  • どうせ自分なんて、と考えない
  • 「病」は市に出せ
  • ゆるやかにつながる

さて、これを見て、「こんなに私だってやっている・分かっている」と思う人も多いでしょう。ただ、それが、頭で分かっていても、居住する地域全体の空気はそうでないのではないでしょうか。

海部町では、行政に携わる人や、子どもからお年寄りまで、当たり前すぎて、いちいち言葉にしないくらい、普通に染みついているようなのです。

たとえば、赤い羽根募金。他の地域では、「みんながやってるから」「寄付額を同じくらい出さないといけないから、金額を合わせる」「地域全体でやるから自分もやらざるをえない」という感覚なのに、この地域では、「寄付金は何に使われるの?うーん、なんだか納得できないから、俺はやらない」と言ってしないけれど、地域の祭りには、どーん!と気前よく寄付を出したりもする。そして、そのことについて、誰もネチネチ嫌味を言うこともなく、個人の選択を尊重して、あっさりと忘れる。そんな感じです。

小学校に、特別支援学級を作りなさいと言っても、この地域は抵抗が強く、そうしないそうで、他の地域の人からすると「差別意識が強いからに違いない」と呆れるけれど、実際に行政のトップに話を聞きにいくと、こういったそうです。

「他の生徒たちとの間に多少の違いがあるからといって、その子を押し出して別枠の中に囲い込む行為に賛成できないだけだ。世の中には多様な個性をもつ人たちでできている。ひとつのクラスの中に、いろんな個性があったほうがよいではないか。」

これを読んで、私も、なるほどなぁ~と唸ってしまいました。なぜなら、“かわいそうな人たち”、“支援の必要な人たち”を助けなきゃ!支援しなきゃ!と強く主張している人たちは、はたして、本当にそう思っているのか?と感じることが多いからです。実は、“自分たちにとって面倒で手間のかかる人たち”を、都合よくどこかに押し込めて、閉じ込めて、管理しようとしているだけではないかと。「かわいそう」「あの人たちは誰かが助けてあげなければ、一人では何もできない(から、私たちが助けてあげる)」と言う人の中には、相手を自分より下に見ていたりとか、差別している人が結構いらっしゃるからです。そういう人ほど、支援が必要な人が少しでも自分の意に従わないことをしたら、虐待したり、ひどいことをしたり、言ったりするものですから。。。。 “目に入ると目障りだし、自分の邪魔をされるから、どこかに閉じ込めておけ!”という意識の強い人が、口先では、耳障りのいいことをいう時に、そう言ったりすることも多いものですから。。。

地域の会でも、他の地域では、3世代に渡って住んでいないと入会できないとか、やめる時も他の人の顔色をうかがったりとか、活動の時は年長者がいばっていて、無条件に従わないといけない雰囲気があったりするところ、この街では、全てが自由。誰も、“あの人はちゃんとしない”と責めるような空気がない。

「社会を変えるために行動しようと思いますか?」「自分の力で社会を変えられると思いますか?」という質問でも、自殺率の高い地域では、「思わない」という回答が多い中、この地域では「思う」の比率が高い。

うわさ話も、すぐに忘れて、あっさりしている。うわさ話で、いわゆる、こそこそと、「あの人、〇〇らしいよ」という方向に言っても、誰かが「いいよねぇ、それ」と能天気に、本気でうらやましいと思っている意見を言ってその場の空気を変え、最後には、その人の印象がよいほうに変わって終わり、その後、あっさり忘れてるとか。他者に対する好奇心が強く、人懐っこく聞いてくるなど。

【「病」は市に出せ】というのは、病気だけでなく、困ったことや問題は、すぐに周囲に話して援助を求めろという意味だそうで、しょっちゅう言われることたそうです。

でも、「あなたは幸せだと思いますか?」という質問では、この街では「幸せでも不幸でもない」という回答が多いとか。

街で、色んな人に聞いてみると、その状態を悲観してたり、卑下している訳ではなく、その状態が一番いいと考えている人が多いのだそうです。穏やかで、心地よいから。

色んなヒントが詰まった本です。

人の意識のリサーチの他、その地域の地理的環境もしっかりと観察しておられます。

隣のうちまで行くのに、谷があったり、行くのに大変な自然環境の厳しい地域に生まれ育った人は、危機的状況に陥っても、すぐに助けが望めないところ、または、あまりに過酷な環境だから、困ったことがあればお互いが助け合うのが当たり前だからこそ、自分を犠牲にしてまで助けてくれるのが分かっているから、安易に頼ってはいけないという意識が先祖代々強い地域もあると言います。そんな地域では【「病」は市に出せ】はしてはいけないと、それぞれが思っており、自分一人で解決せねばならぬと頑張るのが当たり前の意識になります。

人間は、自分が住む地域のエネルギーにも影響されて、気質が出来ていきます。そういう意味で、育つ国で、その国の人間の気質になっていくという訳で。

そう考えると、海部町の土地のエネルギーは、もしかして。。。 とも思います。 なにしろ、徳島ですよね。あのあたりといえば、巷で密かに言われている“アーク”の伝説とかありますよねぇ。。もしや?