この記事のタイトルにしている 『「呪縛」は「空気」によってもたらされる』は、このご著書の中で、稲田さんが書かれている言葉です。

この本は、ガン患者だけのものではなく、私たちすべてに向けての本だと思います。たまたま、ガンによる余命宣告をされ、本気で自分の生死や人生に向き合わざるを得なくなった人たちが真剣に読むのが、こういった“ガンからの生還”題材の本だと思いますが、たまたま、それがガンだっただけで、他の病気でも同じことだし、病気にまでならないまでも、人間関係のトラブルや鬱や心身症などで、何かしらの不具合や不調を感じている状態も、同じだからです。

フラワーエッセンスは、そういう面をサポートするものなので、その奥にある感情やエネルギーにアプローチしていきます。そのため、何の病気かとか、ガンだとか、鬱だとか、心身症とかは、参考程度にしかなりません。その人の弱い面、家系的な体質で、真っ先に現実化する症状が違うだけで、その元となった感情はエネルギーは共通する場合があるからです。

ガン治療だけでなく、私たちは、社会の中で、様々な「呪縛」に捕まっています。呪縛にとらわれると、その時代や場所の“雰囲気”に、知らず知らずのうちに、“洗脳”されていて、また、そのことに自分でも気づかないまま、歪んだ判断をしていることがとても多いです。

そのことに気づき、自由になっていくサポートに、フラワーエッセンスをご紹介しているのが当店ですが、まずは、そんな呪縛について、ちょっと気づいてもらえればと思います。

とても素晴らしい表現をされているので、ぜひ、ご紹介したくなりました。

『「ガン呪縛」を解く』より抜粋ココカラ↓———————————-

「呪縛」は「空気」によってもたらされる

「呪縛」の「呪(じゅ)」には「いのる・のろう」という意味があり、それは心や意識、思い、信念、感情などの精神的エネルギーを指している。

そして、「縛(ばく)」には文字通り「しばる」という意味があり、早い話、「捕らえて縛って動けないようにつなぎ止める」ということだ。

ということから「呪縛」は、心理的に縛り付けられてしまうことを意味するが、ここで重要なのは「心理的に」ということである。つまり、実際に自分を縛り付ける縄や鎖があるわけでもないのに、社会の空気(常識)や専門家の忠告や信念、また家族や友人たちなど周りの人々からの心配の感情に縛られてしまい、すっかり身動きがとれなくなってしまうのだ。

いや、それ以前に、社会の空気による「自縛」もある。外の誰かから言われるまでもなく、さっさと自分で自分を縛ってしまうのだ。こうした「自縛」や「呪縛」はいったい何に起因するものだろうか。この問題を掘り下げるとしたら一冊の書物が必要になりそうだが、ここでは簡潔に「空気」と言っておきたい。しかり、呪縛は空気によってもたらされる。

ここで言う「空気」とは我々が呼吸している物質的な空気(エアー)ではなく、「呪」すまわち、心や意識、思い、信念、感情などといった精神的・心理的なエネルギーのことである。さらに突っ込んで言えば、旧約聖書などの古代文献の至るところで語られているルーア(ヘブライ語)、プネウマ(ギリシア語)、アニマ(ラテン語)ということになるだろうか。

アニミズム(物神論・物活論・汎霊説)は、このアニマから出た言葉であり、19世紀後半にイギリスの人類学者、E・Bタイラー卿が定着させたものであるが、これはすべてのものの中に霊魂もしくは霊が宿っているという考え方だ。日本でもこうした霊的な感覚は古代から息づいており、言葉の持つパワーを「言霊(ことだま)」と呼んでいる。呪縛を呼ぶ空気には、そういったスピリチュアルなパワーが潜んでいるのである。

ここまで話を突っ込んでしまうと、たぶんおどろおどろしいものを感じてしまうだろう。しかし 「空気」には、まぎれもなく人々を呪縛する力がある。ある空気が社会を支配するとき、その中で人々は金縛りに遭ってしまうのだ。「空気」が非常にやっかいにして危険なものである点は、いざ空気支配が起こってしまうと、事実が吹っ飛ばされて排除されてしまうことだ。いやそれ以前に、 ある種の空気に支配された社会や組織では、事実を事実として言葉にすることすらできなくなってしまう(自縛・自粛)。

身近な例を考えてみよう。企業で役員会議が行われてたとする。そのときに自由な意見を出し合う前に、トップが「この企画をやろう」と最初から結論めいた発言をしたとしたら、それがその場に特殊な空気を生み出して、トップに逆らうような発言がしにくくなる。企画を「進めること」が会議の空気を支配してしまい、たとえそれが危険な賭けであることを示す事実が多々あったとしても、空気呪縛が自縛を誘って、発言の自粛が起きてしまうのだ。

最近のテレビ宣伝で、オペラを観て「どんでん返し」を言葉にした社員が、上司の「どんでんは返さないでしょう」という反論にたちまち言葉を失い、苦笑して同調するシーンがあるが、そこにも小さな空気支配がある。「どんでん返し」のシーン(事実)はあっても、上司の一言から生まれるその場の空気がその指摘を押しつぶしてしまうのである。

空気呪縛による心理的支配は、このような小さなシーンから大きな社会的問題に至るまでのすべてのレベル(位相)に存在している。ちなみに戦前の狂信的な開戦気運も、あの当時の空気支配がもたらしたものだったし、バブルもまた空気のなせる業だった。マスコミを通じて拡大されたバブルの空気の中で愚かな投資や買い物をした人は、「あの当時の空気ではそう考えて当然だった」と思うことだろう。つまりは、 事実を見つめて自分の頭で判断することなく、空気に縛られ、空気に支配されて行動したということである。

このような空気は絶大な力を有し、人々の心理や思考を左右する。そしてその中でほとんどの人々が、身動きの取れない金縛り状態に陥ってしまうのだ。

このような空気支配から逃れる道はないものだろうか。これに対して『空気の研究』の著者山本七平は、 「水を差す」ことこそがそれであると言う。

例えば、青年たちが集まって共同事業の夢を熱く語り合う。若いがゆえに夢がどんどんふくらんで、みんながみんなバラ色の未来を語り出すと、希望の空気がいよいよ強く大きく広がっていく。そんななか、誰かが小さな声でポツリとつぶやく。「だけど、先立つものがないようなぁ。」と。

すると、とたんにその場を支配していた空気が崩壊・消滅してしまうのだ。

この場合の「先立つものがない」という事実のつぶやきこそ「水を差す」行為であり、事実が示されると空気はしぼむ。つまり、「事実を示す」ことによってのみ、異常にふくらんだ空気に水を差すことができるのだ。だから危険な空気支配から逃れるためには、事実を事実として示し続けていくことが何よりも大切なのである。

だが、いざ空気が社会全体を強烈に支配してしまうと、「水を差す」ことすら困難になる。実際、戦前の日本には、「戦争をするために先立つ金も石油もない」という事実があったものの、そのことを勇気を持って敢然と指摘するものは少なかった。ジャーナリズムこそ事実を事実として伝えるべきだったのに、当時の新聞や雑誌などのマスメディアは、逆に国民を煽って開戦の空気を強化する方向に突っ走っていった。こうして空気支配に「水を差す」者がいなくなると、空気は破裂の極限までどんどんふくらんでいく。破裂とは、「敗戦」そして「バブル崩壊」などのことである。

「呪縛」の問題を考えるとき、この恐ろしい「空気」の存在を考えずにはいられない。空気の支配が呪縛現象を引き起こすからである。

『「ガン呪縛」を解く』より抜粋ココマデ↑———————————-

さて、あなたは、

「空気呪縛」「空気支配」されていませんか?

呪縛や支配から逃れるには、まずは現状を正確に認識すること、「気づく」ことです。