高齢者介護と精神薬被害、企業のメンタルヘルス、子どもを取り巻く状況をまとめて見ていくと、全て同じ根っこにたどり着くのをつくづく感じます。そのあたりは、フラワーエッセンスプラクティショナーとして、少しずつブログにまとめていこうとおもっています。

被害者が声をあげて必死に変えようとしているけれど、社会はなかなか変わらず、絶望している人も多いです。

しかし、高齢者介護の世界から光が発せられ、日本、ひいては世界を変えていくかもしれません。

なぜなら、日本は今やアジアでは介護の最先端で、これから日本の介護職の不足を補うために、この春から、正式に外国人を介護専門職として育成することになったから。

日本に研修に来るアジアの人々は、エリート層です。ゆくゆくは、自国に帰って、自国に日本の技術と理念を伝えていく。

日本の介護理念は、ものすごいスピードで進化しています。かつての不幸な歴史を繰り返さぬよう、今の最新の介護理念は

●自立支援
その人の出来ることを自分で出来るように支援する。応援する。出来ることを奪わない。生きる力を奪わない。

●人間の尊厳を尊重すること
その人の価値観、生き方、どんな生活を送りたいか、その人のやりたいこと、その人の選択を最優先する。

言葉が話せなくても、認知症であろうとも、その人の尊厳を損なわないように尊重する。たとえ、寝たきりでも、言葉が話せなくても、お風呂、排泄などの時ももちろん。

その人の嫌がることをしない。

その人の選択を尊重する。

その人をサポートする専門職全てで、その人の望む生き方が叶えられるように支援する

●その人から思いを引き出すコミュニケーションを重要視する。
その人の好きなもの、やりたいこと、夢を尊重し、人生の質を高める支援

当たり前のことですか?いえいえ、これまでは、縛り付けられたり、寝たきりにさせられたり、薬づけにされたり、食べたくないのに無理に食べさせられたりなど、死に方を選べず病院でチューブに繋がれたりなど、尊厳を踏みにじられる歴史をへて、そうなってきました。

ボケたら終わり、マヒで動けなくなったら終わりと扱われ、閉じ込められたり、縛り付けられたり、寝たきりにさせられたりという悲しい歴史があったのです。

もちろん、このままではいけない!と理念はできても、まだまだ現場と現実は追いついていないし、とにかく手が足りなくて、現場は余裕はなく、日々の仕事をこなすのに必死で、理想は分かっていても実現できていない状況ですし、ほんの少し前に介護技術を学んだ人も古い理念で学んでいるので、尊厳の尊重なんて意識もない人もまだまだ多いです。

しかし、理念が揺るがなければ、少しずつでも変わってきます。

現代の状況は、高齢者だけでなく、子どもの世界でも、大人の世界でも同じです。

役に立たないもの、他の人と同じように、一般の基準でできなければ排除、切り捨て。病気などで“壊れた”ら、社会から切り捨てられる。

“壊れた”ら、医療に依存させられ薬漬け。気がついた時には。。。。というのが、どこにでも見られます。一度でも“壊れた”ら、治っても、元のところに受け入れられる社会ではないですよね。。。

高齢者を切り捨てることは、自分自身の未来も切り捨てること。なぜなら、誰しも必ず高齢者になるからです。将来、自分も同じように扱われるだけです。

そして、前述の介護理念を高齢者に提供するには、自分が自分自身に対して、そうしてあげた経験、尊重した経験がないとできません。自分が自分自身にしてあげたことがないことは、他者に提供するのは難しいからです。

また、誰かにそうやって扱われたことがあるということも重要でしょう。その時の感動と感謝の気持ちが、社会で循環していくからです。次の世代や誰かへの贈り物になるからです。

もし、そんな生き方ができていないのなら、自分が高齢者になった時、自分で自分の生き方を選択する、選ぶ、どんな生き方をしたいか高らかに宣言することは出来ないでしょう。宣言できなければ、お店に入って何が食べたいかオーダーしないと、いつまで経っても、望むものは提供されないのと同じで、望む扱いは得られないでしょう。

そして、“壊れた”ら役立たずで捨てるしかないと思ってずっと生きてきた人は、自分が誰かにお世話してもらわないと生きていけなくなった時、自分が、いつ捨てられるか、役立たずとして踏みにじられるかビクビクして生きることになります。

子どもと精神医療と違うのは、高齢者介護には、医者や作業療法士、看護士だけでなく、一般と同じ目線でその人の思いや日常の様子を感じ取りながらお世話する介護士がいることです。当事者が言えなくても、気づかなくても、察して、医者や家族に通訳してくれる人とも言えます。だからこそ、介護理念の改善と進化のスピードが早いのです。

というか、誰しも、無意識のうちに、自分の親や自分自身の老後を投影してみてしまいます。“一生懸命生きてきて、最後にこんな扱いをされるなんて納得できない!”と悲しみや怒りで葛藤します。人間とは生きるとは?という強い思いを訴えずにはいられない強い衝動があるから、声をあげるのだと。

高齢者介護の理念は、聞けば聞くほど、職場での上司と部下、親と子、教師と生徒、友人関係など様々な場面でも必要です。お互いがそうやって支え合えば、とても生きやすい社会になることでしょう。本来なら、人生の終末期にだけすることではなく、今まで当たり前にしてきたから、終末期も当たり前のように出来るのが自然の流れ。

この理念が社会で達成されれば、それが世界にも広がっていくと思うと、ワクワクしませんか?

今はまだ、ほとんどの人が “私はそんなことしてもらったことがないのに!ズルい!”という恨みのほうが大きすぎて、素直に、誰かにそうしてあげられない人がほとんどではないかと。だから、虐待や、弱者に対するイジメが蔓延しているのではないでしょうか。

でも、誰かにしてもらったらやる!というのでは、世界はいつまでも変わらない。気づいた人から先にする。そういう鍵、そして、そんな自分自身に気づくヒントが、高齢者介護の中にあるような気がします。