10代、20代、30代、40代、50代。。。。あちらの世界に帰るまで、それぞれの人生の時期によって、感性も、役割も、変わっていきます。

今の時代は「若さ」のみが価値のように感じさせる風潮が強いので、加齢に伴い、あたかも、自分が価値がなくなったかのように感じて生きる意欲を無くす人、若い頃をずっと懐かしんで、今を生きない人、現実を認めない人 etc.で心のバランスを崩す人も多いかもしれません。

パッと見が若く見えると、もてはやされるように感じさせるのがメディアなので、そう思い込まされてしまいがち。

反面、年齢相応にみられないと恥ずかしいと言う人も、結構いるのです。

なぜなら、人生経験を重ねていくと、存在感や目の奥に宿る光に、重みと深みが増してきます。

目の奥の輝きが、長老のような、知恵と慈しみと許容力、落ち着きに溢れているのに、見た目が赤ん坊だったらどうでしょう?
たぶん、本能的に、違和感を感じて、もしかしたら、不気味さを感じる人もいるかもしれません。

先日、無鉄砲な若者に出会いました。

人生経験が浅いゆえにコワイものなし、年長者が聞いていると、何の準備もしてないし、ボロや穴が多すぎて、ハラハラするばかり。

でも、だからこそ、生き生きとしたチャレンジ精神に溢れ、なんだか応援したくなってしまうのです。あれが「若さ」というパワーだな と思いました(笑)。

実際、年長者たちからすれば、“投資対象”にするには、リスクが大きすぎる人材です。

なんたって、「成功します!」と自信満々に宣言している割に、具体的で、現実的な計画や準備が見られないのですから。

でもね、眩しいんです。だから、その輝きとパワーに魅了されて、応援したくなったり、無鉄砲で無計画だけど、コイツなら何かしでかしそう!と直感的に感じて、その人に投資したくなってしまうのです。

この無鉄砲さと自信満々なエネルギーが「若さ」だな と思いました。

年齢を経てくると、失敗や挫折を経験するから、無鉄砲さや根拠のない自信過剰はなくなってきて、用心深くなり、また、見極める目がついてきて、どっしりとした安定感が増してきます。これが加齢によるパワーです。

そんな若かりし頃の、いわゆる “キャピキャピ♪” オーラは、自然に出なくなるのが普通ですから、いつまでも、外見が若かりし頃のキャピキャピファッションだと、妖怪のような不気味さが出てくると思います(笑)。

いい年したオジサンが、赤ちゃんのふりをして「ばぶー♪」というのをイメージしてもらえば、伝わりやすいかもしれません。

ある人は、こう言いました。

「ある程度の年になったら、いつまでも若者たちと同じエネエルギーで、同じステージにいてはいけない。そこから降りないといけない。年齢なりの役割がある。それを果たさないといけない」

しかし、人生を生き生きと生きるのは、「心の若さ」「魂の若さ」も必要です。なぜなら、「若さ」は新しいものへの好奇心、自分の可能性を信じるパワーでもあるからです。

青年期を過ぎても、やっぱり「若さ」って必要じゃんw、どっちなの?と思いました(笑)。

「若さ」って何?「加齢」って何? とフラワーエッセンスプラクティショナーとして、考えていたら、こんな本に出合いました。


あの世へ逝く力 小林 玖仁男

治療法のない、助かる見込みのない進行性の難病。早ければ2年半ほどで死に至る病気の宣告を受けた人の手記です。

この本は、全ての人に勧めたい素晴らしい本でした。

人は、誰だって、確実に死ぬ訳ですが、いつだって真剣には考えていません。しかし、確実に死ぬと分かっている病になると、残された時間を意識するようになり、残された時間を大切に生きるために、自分の全エネルギーと時間を注ぎます。

親も高齢になってくると、自然と、死や人生について考えるようになってきます。私は、40代後半ですが、最近になって、そういうことをよく考えます。それまでは、他人事でした。

なぜだろう?と考えてみると、この世代は、人生で言うと、折り返し地点くらいなんですよね。

おそらく、それまでは、人間も、拡大の時代。

宇宙の法則が、拡大と収縮の繰り返し。

呼吸も、吸ってばかりでは死んでしまうので、吐くことも必要です。

人間の一生も同じなんですよね。

加齢と共に、生き方や役割を変えていかないといけないのも、若い頃は拡大の時期でも、そのピークを過ぎると、今度は収縮に向かう時期に入っていかねばなりません。にも関わらず、もっともっと!と拡大し続ければ、自分も社会も世界も、壊れてしまいます。

この本で、著者はこう言います。

「限られた時間しかないので、無駄なことはできない。非効率なことをやっているヒマはない。病気の進行と共に、これから、体力も時間も、どんどん減っていく。これまでの経験と知識を総動員して、自分のやりたいこと、成し遂げたいこと、生きた証として残したいことを、効率的に、次々やっていく必要がある。若い頃のように、“下手な鉄砲も数打ちゃ当たる!”なんてやり方は、もうやってられない」

まさに、これです! 前述の若者とは、真反対です。

若い頃の勢いは、いくらでも時間が有り余っていると思うからできること。

年齢が進むと共に、どうしても、体力も知力も落ちていくので、非効率なことをやってる余裕は、どんどんなくなっていきます。

若い頃のように非効率なことをしなくていいいように、人生経験という、知恵や知識は十分貯まっているはず。

神様は、ありがたいことをしてくださいますね♪ 時間と体力がなくなっても、それを補う人生経験を通しての智慧や知識を与えてくれる。

病気で亡くなる方が、効率的に、自分の使える時間を使えるからよいと、著者はおっしゃっておられました。いつまで生きるか分からない恐れや不安、寝たきりになったらどうしよう、認知症になって家族に迷惑をかけたらどうしようという不安が一切なくなるので、自由になったとも。

いつまでも若くあろうとするのは、新しいものへの好奇心、自分の可能性を信じるパワーとして維持し、時間の使い方は、老齢者で!

いつまでも、若者のようでいてはキケンです。何も考えずに、適当にやってみて、痛い目をみてケガをする なんて余裕は、加齢と共に、どんどんなくなっていくからです。

誰だって、人生経験を経て、賢くなっています。人生経験で培った智慧と知識で、失敗や無駄のないような、超効率的な方法や生き方を知っているのが年長者。

決して、過去の失敗や失敗事例は、「どうせ、無理に決まっている」「出来るはずがない」と諦めるためにある訳ではないのです。そう考えるようになった人は、心の若さ – 新しいものへの好奇心、自分の可能性を信じるパワー – を捨ててしまった人。身体は老いても、魂は老いることはありません。魂は、まだまだ、ぺーぺーで未熟な赤ん坊だからこそ、そんなにも、簡単に諦めてしまうのですw そこだけ、老人のふりはやめましょう(笑)。

そんな世代に入った人は、そろそろ、自分が何をしたくて生まれてきたのか、何をしたいのか真剣に向き合って、それら全てを果たすための効率的な時間の使い方や動き方を考えていきましょう♪