10歳前後の日本、ミャンマー、モンゴルの子どもたちの集まりを観察していた。

やっぱ、アジア圏の子どもたちは、日本の子どもも含め、シャイ。

子どもたちは、一緒にゲームか何かをすると、すぐに馴染んで仲良くなるのは分かった。

でも、うーん(;^ω^)。。。最初のそのきっかけが、なかなか起こらない。子ども同士を一緒にしてほっとけば、そのうち、何かしらして遊びはじめるだろうと前は思っていたけれど、今の日本の子どもには、それは難しいのかもしれないという気がしてきた。

今の日本の子どもは、ゲームとか何かしら道具でばっかり遊んでいるから、そういう道具がないと、どうやって一緒に遊んでいいのか分からないのかもしれない。

他のゲームをするにもルールを説明しないといけないものは、言葉が通じないから一緒にできないだろうし。。。

少人数で置いておけば、そのうち遊びはじめるかもしれないけど、きっかけとなるのは、言葉が達者でない幼児の無邪気さ、強引さ、大胆さだったりするから、そういう幼児がいない場合は、10歳前後となると、言葉に頼るから、言葉の通じる子どもとばっかり遊びそう。

なお、そういう場面は、日本人の多い海外の英会話学校でよく見られる。海外まで英語を勉強しに行ってるのに、なぜ日本人同士で集まって日本語で話してるの?的場面。不安と恐れから、ついそっちに流れちゃうんだよね(でも、そんなことをいつまでもしていては意味ないです)。

でもまぁ、大人にしたって同じことだ。言葉の通じない子どもに、どうしてあげていいか戸惑うんだよねぇ(;^ω^)

子どもだけでなく、大人にもそんな人は時々いるけど、お互い言葉が一切通じないのに、それぞれ自国語でなんかしゃべってて、なぜか会話が通じている場面がある。実際、今回一緒に日本を回っているミャンマー、モンゴルの子どもたちにも、そういう場面がしばしばあるそうだ。

これこそ、言葉に頼らない、ハートとハートでお互いの意識を感じ取って通じ合うコミュニケーション。

ただ、これ、お互いがお互いに対して、ハートが開いていないと立ち上がらない回路でもあるから、初対面で、まだ仲良くなっていない時は難しい。

やっぱり、一緒に何かをするというのはとても大切。一緒に何かをすると、距離が縮まるんだよね。

言葉が通じなくても一緒に遊べるもの。。。。なんだろう? 昔ながらの手遊びや、遊びなんですよ! 今の日本の子ども、そういう遊び方しないから知らないんだよなぁ。。。非言語コミュニケーションスキルが低いわ(;^ω^)。これから、非言語コミュニケーション能力がものすごく必要になってくる時代だと思うから、これではマズイと感じた。単純に、グローバル化というのもあるけど、言葉のやり取りだけでは理解できない自閉症や認知症の方々などとのコミュニケーションに、非言語コミュニケーション能力が絶対に必要になるから。そういう方々は、どんどん増えているけれど、これからも増加していくと思いますから。

もちろん、この能力は、子育てにも必ず必要なものだから、なくてもいいなんて決して言えない。その能力がないと、子どものニーズが分からず、最悪の場合、子どもを死なせちゃったりするから。

道具がいるけど、そこらへんのもんですぐ代用できる、あやとりとか、折り紙でもいい。

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実際、お互い黙り込んで座っている子どもたちを見かねて、どっかから紐を持ってきて、あやとりをしようとジェスチャーで誘った大人がいた。日本の子どもにも、他の国の子どもにも。

そしたらね、気が付くと、国関係なく、子ども同士で紐を引っ張りあってじゃれはじめたの。あやとりじゃなく、ただ、紐を引っ張って遊んでるだけだけどね(笑)。

これって大事だな~としみじみ思った。

今、巷では、ミラーニューロンというのをよく聞くけど、これもまさにその一つ。

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Wikipediaより

ミラーニューロン(英: Mirror neuron)とは、霊長類などの高等動物の脳内で、自ら行動する時と、他の個体が行動するのを見ている状態の、両方で活動電位を発生させる神経細胞である。 他の個体の行動を見て、まるで自身が同じ行動をとっているかのように”鏡”のような反応をすることから名付けられた。

簡単に言うと「相手の動作をそっくりそのまま真似して、同じように体を動かすと、相手の思っていること、感じていることが伝わってくる・分かる」ということ。(「相手の真似をしていると、いつの間にか相手に洗脳されて、相手の都合のいいように動かされている」という羽目に陥る場合もあるので気を付けてね♪)

実際、心の傷を癒すカウンセリングなどの場面で、演劇が使われるケースもある。クライアントの心の傷となった場面を、役者が演じてあげることで、麻痺していた感情が戻ってきて、クライアントの心の傷が解放され、前に進むことができる。

逆に、理解しにくい話を、登場人物になりきって演じてみると、登場人物の気持ちが理解出来たりもする。

『百匹目の猿』現象もミラーニューロンと言う人もいる。

『百匹目の猿』現象とは、ある島の猿がサツマイモを海水で洗ったら、塩味がついて美味しいことに気が付いた。。。という話。その島の猿たちは、最初そうした猿を真似して、どんどんそうする猿が増えていったんだけど(ちなみに、そうしはじめた順番は、メス(または子ども)→子ども(またはメス)→若いオス。頭の固い頑固オヤジ的年齢のオッサン猿は、最後になってもやろうとしなかったとか。)、遠く離れた島で絶対に交流のない島の猿も、同じことをしはじめた という研究。

これで何が実証されたとかはないけれど、“テレパシー”というのが、各種族であるんじゃないかと私は思う。

ちなみに、植物もお互いコミュニケーションを取っているということが実証されたというシェアを少し前に見た気がする(スミマセン、出典元は探しきれませんでした<(_ )>)。実際のところ、それはかなり前から言われていて、例えば、大きな森の端っこで、ある木が大量の虫にやられる。植物は動けないので、身を守る術は、自ら生成する化学物質を分泌して、虫や動物を追い払うんだけど、まだその虫が現れていない森の奥深くに立つ同種の木も、分泌する化学物質を同じ組成に変えたというデータもある(スミマセン、こっちも出典元は覚えてません<( _)>)。

それぞれの種族で、テレパシー的な情報交換をしているんだろうなと、ごく当たり前のこととして、私は思うんだけど、人間を含め、動物の場合は、このミラーニューロン = 実際に同じ動作を真似てやってみる が、このテレパシー的能力をオンにするスイッチなんじゃないかと私は勝手に感じてる。

実際、女性の多くは手芸とか、手を使うことが好きな比率が高い。男性にもいるけど、女性のほうが多いかもしれない。

それはなぜか? 女性は、誰しも生まれながらにして、巫女的要素を持っているからだと思う。巫女は、神様からのメッセージを受け取ったり、伝えたりする役目だけれど、神様からのメッセージは、インスピレーションや直感として降りてくる。手仕事や手芸をすると、いつしか頭が空っぽになって無になる瞬間が来る。そんな時に、インスピレーションや直感を受け取りやすい。そして、何より、その時は、ものすごく癒しも起こるから、自分自身がとても気持ちよくて元気になる。

糸かけマンダラをすると、それが分かるよ~w(手前みそ(笑))。

あとね、音楽と踊り。 ミャンマーとモンゴルの子どもたちは、とても無邪気に、楽しそうに踊る。音楽が踊ると、自然に体が踊りだしそうな勢いだ。彼らは、普段から、文化の中で、祭りのたびに、子どもが踊る民族舞踊を当たり前のように踊るから、抵抗もない。

一方、日本の子どもたちは、そんな習慣がないので、恥ずかしいのが先に立って、無邪気に踊れない子が多い。ダンス教室でレッスンを受けている子どもは踊るけど、文化の中での民族的な踊りとは違う。誰でもできる簡単なステップや踊りじゃないから、一緒に踊るのは難しいんだよな~(;^ω^)

音楽は、心と体をほぐす。穏やかで、楽しそうな音楽がかかると、緊張は緩むし、なんとなく楽しくなってくるでしょ。

そんな時、普段から心や体に緊張やストレスがない人は、音楽にのって体を動かしたり、踊ったりしはじめる。人にどう見られるとかではなく、ただ、楽しいから、音楽に合わせて体を動かしたくなる感覚に素直に従っているだけ。

一方、日本の子どもたち、また、大人も含めてどうだろうか。

人にどう見られるか恥ずかしいという抑圧から、素直に音楽の波動に身も心も委ねられない。

あー、だから、日本には、鬱や自殺が多いのね。。。。 モンゴルとミャンマーの子どもたちが、無邪気に、楽しそうに踊る姿をみながらそう思った。

音楽流して、踊りの形やステップはどうでもいいから、なんでもいいから一緒に踊るだけで、仲良くなれる。言葉が通じなくても、なんとなく心が通じる感覚が出てくるから。これも、ミラーニューロンの一種。

でも、日本人は、自分の踊る姿が周りからどう見えるかが気になって、恥ずかしくて、身体が音楽でウキウキしている感覚を無理やり封じ込めてしまう。うーん、この日本人気質は、子どもの頃からあるのね~(;^ω^) 民族的気質やね。

となると、他の国のように、踊りや音楽を一緒にすることで、親密感を高めるのは、日本人には気質的に難しそうだ。

なら、みなさん、手遊びですよ! 特に、道具がなくてもできるやつ!!

そういえば、かつてのバイブル「地球の歩き方」には、しばしばこんな記述 – 「折り紙を作ってあげると、現地の子どもが喜んでくれて、仲良くなれるので、ぜひ持って行って!」というアドバイス – があって、実際そうすると、言葉は通じなくても、あっという間に現地の子どもや大人と仲良くなれた。

日本の子どもに、教えなきゃ~! 私たちの先祖が代々伝えてきてくれた「手遊び」を。実は、こんなに奥深いものなんだから。

ちなみに、フラワーエッセンスにも、非言語コミュニケーションをサポートするものが当たり前としてありますよw。波動の世界を分かっていらっしゃる作り手さんたちですから、そんなの常識なんですね~(笑)。

例えば、これ。

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アラスカンエッセンスコンビネーションフォーミュラ ビヨンド ワーズ Beyond Words 7.5ml

ビヨンドワーズは言語と非言語の両方で自分自身を表現する力を高めてくれます。共通の認識という意図を持って、ある人からもう一人の人へ情報とアイディアの交換と流れを助けてくれます。特に正念場のようなとても大切なコミュニケーションをする時の助けになってくれます。ゴールが人間関係でのハートとハートのシェアリングであろうと、心を動かすような人前でのスピーチであろうと、このフォーミュラはマインドとハート両方の思考と話す能力を高めてくれます。

ビヨンドワーズを使うと:
 ・特に男女間の恋愛関係において、防御的姿勢抜きで気持ちと感情を話す助けに。
 ・すべての環境において、制限や妥協、自意識なしで自然に自分を表現出来るように、あなたの力と自信を高める為に。
 ・ハートで聴き(言語的、非言語的に情報を受け取る)、ハートで話す助けに。
 ・真のコミュニケーションが得られる内なる静けさとフォーカスされた中立の場所に、あなたを他の人と留まらせる時に。
 ・特に言わなければいけないことに対しての難しさや議論が起こりそうな時に、言語的表現の行動に保護を与える。
 ・活力と内容の真正を持って話せるように、あなたのコミュニケーションをグランディングさせる。

 ・あなたの意図が正確に伝わる言語へと変容できるよう、思考を明確にする。